ひげなしおやじのひとりごと

田舎暮らし、旅と粘土遊び

不可思議なこと

先日のことである。車の運転感覚を忘れないようにと、家人とともに近くの「若狭西街道」を走ってみた。
すると田舎の片隅に農産物の直売所があった。

立ち寄ると新鮮な野菜類が並んでいる。ここを通るのはずいぶん久しぶりである。客は誰もいない。店員は中年の女性だけだ。

「ここは開店してかなり経ったの?」とおやじ、から会話が弾んだ。そして話している間に記憶がはるか昔にさかのぼった。

「ここは○○という集落ですねえ。」  「はい、そうです。」   「あなたはこの近くの人?」   「はい」   「ではお聞きしますが、昔、○○会社にお勤めしてしておられた方のお嬢さんで、○○銀行に勤めておられて、京都の八木にお嫁に行かれた方をごぞんじですか?」  「はい、私の義姉です」   「へーっ、奇遇やねえ、」とおやじから会話がどんどんと進んでいった。


さらに  「ご両親はお元気?」    「私は若嫁で義父は亡くなりましたが義母は少し歳をとりましたがどうにか、過ごしています。お姉さん(義姉)が時々帰郷して、あちこちドライブに連れて行ってくれます。」等々とのこと、話は尽きない。

そこへ一台の車が入って来た。中からは二人の女性が下りてきた。すると若いほうの人がおやじをじっと見つめて「もしや○○さんではないですか?」とのこと、「そうですが・・・・・・」とじっと見つめると、どこかで見かけたことのある方だ。じっと見つめていると、おやじは病いのせいもあって忘却の彼方へと行ってしまった40年以上昔へとさかのぼった。、面影が残るおやじが銀行で共に働いていて媒酌人をさせていただき、いま噂をしていた、花嫁ではないか。昔の可愛い女子行員の姿がよみがえってきた。40年以上前との再会であった。

「噂をすればなんとやら」というが、あまりにもでき過ぎた「出会い」にしばし呆然とした。偶然にしてはでき過ぎている。

この時間にこの場所でこの人との数十年ぶりの出会いは、全くでき過ぎている。このような出会いは、物理的にも宗教的にも極めて「不可思議」なことに驚くばかり、神の存在を知らされたようであった。

偶然では済まされない、まさに現在における「怪奇現象」と言わざるを得ない。

「無神」を貫いてきたおやじもここで考えを新たにするべく、頭の大転換を必要とするべきか、いずれにしても大きな出来事が起きたことは事実である。        「神」の存在はあるのか。

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年寄りの運動

梅雨に入り、運動不足が気にかかる。そこで永らくご無沙汰している京都を目指した。

おそらく今は観光客も少なくて、老齢者にもゆっくり歩くことができるだろうと、雨の中を「近江今津」からJ℞の新快速に乗った。
途中、「山科」で地下鉄に乗り換え「京都市役所前」で下車する。
ちょうどお昼時でまずは腹ごしらえと。いつも行く河原町通りの寿司屋「魚心」で「ビール」と「松花堂弁当」に。少々待ったがどうにかありついた。

行く宛てもなくぶらつく。同じ通りの「丸善」で書籍を探索、以前はよく来たところだがずいぶん久しぶりだ。閑散としている。

化粧室に入るとなんとセレブなホテルのような部屋である。人影もなく思い切ってゆっくりと用を足した。すると小休憩所には素晴らしいソファがおかれているではないか、ここぞとばかりにどっかりと腰を下ろして呼吸を整え、スマホを広げてニュースを見る。かなりの時間をくつろいだが誰にも会わない。いいところを見つけた。精神を落ち着かせたあと、地下2階の書籍売り場に向かう。

電子書籍で読むようになってからは町の本屋さんに入るのは何年ぶりか、そのせいか、レジの店員は暇そうだ。世の流れは無情だ。

顧客状況は大幅に変化、地方の小さな本屋はほとんど淘汰されてしまった。こんな大書店でもが世の変化に付いていかなくなりつつあるのだ、

新書版を3冊手に入れて次は四条通をぶらぶら、相も変わらず、外人客が多くすれ違う、

いつもの「高島屋」は今日はパス、そして市内バス5番で京都駅に引き返すことに。
伊勢丹でおなじみの「御座候」を購入、おやつとして車内でかぶりついた。外は雨の降り方が本格化してきた。早く帰ろうっと。

あーあ、結構疲れた、帰宅後、ウオーキングをスマホで今日の歩数を見ると6060歩、距離は3,8キロと出ている。
一昨日は三千院周辺をで5200歩、3.5キロ歩いているから歳も考えて本日はこれにておしまい!

諸行無常

小屋にいつもの常連が駆け込んできた。

何事かと思いきや、知り合いの若い女性が亡くなった、という。

元気だった女だが、「大動脈破裂」での急死という。
同病で大動脈交換のおやじの病歴を知っているから、改めて「よかったなあ」と何度も励ましてくれた。
実はそういう彼も「院内感染」であちこちに菌が転移して、生死を彷徨った過去を持っている。
この歳になると病歴ばかりが増えて、真に健康な者は殆どいない。

同病は破裂するまで自覚症状は殆どないから余計にびっくりするのだ。

彼と話しているとお互いに多くの病歴や、入院体験を持っているから話は尽きることがない。

お互いに一日でも元気でいような、と励ましあって別れた。

残された旦那はこれからさぞかし、在りし日の内助の功が身に染みていくことだろうなあ、と同情しながらの話し合いであった。
「生老病死」という文字がイカレタおやじの頭に浮かんだ一日であった。

草津宿へ

「中山道」と「東海道」が交わる「草津宿」を訪ねた。

JR草津駅を降りて商店街を抜けると「右東海道、左中山道」の標識が立つ三叉路を
直進するとここは「草津宿本陣」跡である。

江戸時代には、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠70軒余を構えたところだ。

まだ人出が少ない午前中とて、ゆっくりと陣内を見学した。

今でいうと大高級ホテルの跡だ。 • 東海道では江戸日本橋から52番目、中山道からは67番目である。ここまでの長旅ももう少しで目指す京の三条大橋もあと少し、ホット一息と、身体を休めたことだろう。その雰囲気が今も残っている。

殿様用のトイレ、バス、寝室、応接間等がそのまま保存されていていつまでいても飽きることはなかった。

中山道を歩く

先回、訪れた中山道61番目の「醒井宿」にもう一度行ってみようと、好天に恵まれたある日、家内とともにドライブしてきた。

駅のレストランにて「バイキング料理」で地元の食産を味わった後、杖を頼りに、中山道をゆっくりと歩く。日差しが強く、汗が流れる。
道に沿ってきれいな水が滾々と流れていた。いわく「醒井七湧水めぐり」と案内にある。

道にある「資料館」に立ち寄ると学芸員の人が懇切に説明してくれた。「醒井」といえば昔は「養鱒場」で有名であったが最近はドラマの影響もあって、宿場町として訪れる人が増えてきたそうだ。そういえばおやじもここには遠足で養鱒場見学に来たことがあった。

豊富な水の流れる「地蔵川」には「梅花藻(バイカモ)」が開花を迎えて、水の流れにゆらゆら泳いでいた。全国からこの水を求めて訪れる観光客があとを絶たないらしい。

江戸からここまで61宿、あと6宿で京の三条大橋、に至るという。隣の宿場町は江戸側「柏原宿」、京都側「番場宿」、一度また巡るつもりである。

家内も随分気にいったようだ。運動にもなったから、年寄りの健康作りには最適であった。

橋渡し

先日、おやじの小屋に越前市の「ワンコイン塾」の塾長はじめ3人が来訪された。
みんな10年来のおなじみである。

おやじの知り合い、小浜市在住の絵描きで作家、創作好きの「武藤画伯」に会っていただくための来訪である。先日の個展におやじがお伺いした時に、約束した両者の初顔合わせであった。
おやじが、いわば気の合う仲間同士にへの媒酌?の任を果たしたのであった。

武藤氏の個展で「ワンコイン塾」話を紹介したら、実はこれからギャラリーでそのような企画を
やりたいと考慮中、ぜひ話を聞きたいとのことで実現したのであった。

ご両人の話し合いは、文学、絵画、アウトドア、等々多岐にわたって延々4時間、時間の経過を忘れるひと時であった。
特に水上 勉先生の主宰されていた「一滴文庫」の編集長だった武藤氏と、越前市の公民館長であった道正氏との博学多識の次元高い話は時間の経過を忘れるひと時であった。

両者の出会いを企画したおやじにとっても最高の喜びとなった。

特に武藤氏が制作中の軽自動車の「手作りキャンピングカー」はおやじが若きときに体験した「全国
キャンピングカー巡り」を思い出させて当時の体験談を披露した。

ご両人が、これをご縁に末永く交流されることを願うばかりである。

「人生は出会い」を再認識!

わが人生を振り返る その2

1944年に縁故疎開で居住地を「若狭」に移して以来、人生の大半をこの地で過ごしてきた。
おかげで戦争の被害や飢えもなく、風光明媚なところであった。
白米を食えるだけでうれしかった。
町人から百姓への環境の大変化であった。

地元の高校を経て地方銀行に就職、行員はおやじを含めて3人の小さな出張所であった。
朝はコンロの火おこしから始まる予想もしない業務だ。一日来店客は数人、暇を持て余した退屈な日々であった。
勤務中に「鉱石ラジオ」を組み立ててみたり、散歩に出かけたり、予想もしなかった時間を送った。
当然店の成績は大赤字、呑気で無駄な時間を過ごしていた。
そのせいか、入行2年目で店は廃止に至り、汽車で30分にある支店に転勤、ここで7年間もの間、百姓の人たちを顧客に、預金勧誘に没頭したものだ。そして毎朝、通勤の途中、駅から小さな商店街を「日掛け」という一店あたり、数百円の金を集金しながら出勤、して整理するのが午前中の日課であった。
数年の間には顧客との間は信頼が生まれて後には親戚付き合い、にも勝る親密さの中、どこの猫がどこにもらわれて行ったのまで
知りうる人間関係を築いたものだ。
当時は米不足ゆえ百姓の全盛時代であった。米の収穫期には休日も返上して農村回りが日課、農協に振り込まれる「米」の代金を預け替えしていただくための勧誘に、連日連夜頼んで廻ったものだ。

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プロフィール

だべりおやじ

Author:だべりおやじ
「だべり小屋」主宰
次の方 小屋入室大歓迎
1、あつかましい人
2、気を遣わない人
3、義理欠く人
4、マイセルフの人
心身ともに、ころもを脱いでお入りください。

 「だべり小屋讃歌」    
    益田兼大朗 作詞作曲  
1、夕日が落ちて 吹く風が
  やさしくつつむ 夕暮れに
  おいで集まれ みんな来い
  明日の夢を話そうよ
  若狭瓜生の だべり小屋
  呑んで歌って また呑んで
  これからは これからは
   あなたも 私も
  仲間同士になりました

2、3, 略

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