アメーバー経営
2012-05-17

複式簿記は人類の最も偉大な発明のひとつである.
この財産計算と損益計算を同時に行うという複式簿記の技術は人類が大昔に発明したものだが、今なおこの技術なしには経済の円滑な流通はありえない。ドイツの文豪「ヨハン・ゲーテ」もその著書『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』において、この複式簿記のシステムを人類の最も偉大な発明であると賞賛している。
京セラや第二電電を起業して今は倒産した「日本航空」の会長として見事に黒字企業に転換させた稲盛和夫氏はさらにこの会計組織を改良して「アメーバ経営」と呼ばれる、確固たる経営哲学と精緻な部門別採算管理をベースとした経営手法を編み出した。
会社の組織を「アメーバ」と呼ばれる小集団に分け、社内からリーダーを選び、その経営を任せることで、経営者意識を持つリーダー、つまり共同経営者を多数育成したのであった。
官にはびこる「おかみ意識」を全面改革したのはまさにこの複式簿記会計を進歩させた「アメーバー経営」なのであった。この知恵は学歴オンリーの社会では考えだすことは出来ない。生きた知恵なのである。
日本に蔓延って霞が関に住まいする「迷アメーバー」を根本からリセットする急務なのだ。
特別会計は悪の根源
2012-05-16
複式簿記は商品を売り上げて現金を受け取ったというような取引の場合、現金の増加という結果がもたらされたのは、商品の売り上げという原因の発生があったわけだから、商品の売り上げという原因を売り上げという収益の発生、その結果との現金の増加を現金という資産の増加と認識し、これを会計帳簿に記録していく仕組みだ。
また商品を売り上げて現金を受け取るという取引以外でも、取引には必ずなんらかの原因が発生するからそれにともなって結果が存在している。
そしてある一定期間経過した後において、その一定期間内に発生した取引の結果を集計していくと(実際には残高試算表の残高を集計)、資産や負債の残高が確認でき(貸借対照表)、またその損益も把握できる。(損益計算書)。ある一定の時期の内容が即時に把握出来る仕組みだ。その点多くの官が採用している特別会計方式は複雑に広がっているから一度には掴みにくい。悪を企むものにとってはもってこいの方式なのだ。
そこで気になるのは国の会計だ。いつまでも旧態依然の単年度で大福帳式の単式簿記で通しているのだ。
この方が悪意を行うに便たるのに「〇〇特別会計」と称する正体不明の帳簿組織を作って内容をひた隠しにしている。さらにこの形態を悪用して裏金作りや不詳な悪意を働いているのである。
しかもこの形態を国から市町村または各集落や神社寺院、や各種団体の会計に至るまで模倣してまるで最新の方法だと思い込んでいるのである。複式簿記なら総勘とその補助簿で総てがオーケーですべてが把握できることを知らねばならない。
もっともおやじは役人を「簡単なことを難しい言葉や仕組みでより分からなくする動物だ」と定義しているからさもあらん。
さらにわれわれ民は国のやっていることが総てが良い、との大錯覚でこの国総てが動かされているのである。そんなバカ組織をもとより見なおして、橋下氏ではないが総てを地方から総改革しなければならない。
全国知事会なるものの知事の顔ぶれを見れば、その六割以上が中央官庁出身で、何か国に先んじての提案を決めはしても最後は出身してきた古巣の役所の意向を質(ただ)し、役所は予算を握って居る財務省の顔をうかがって大方は無視されて終わる。
国の役人の放漫な財政を隠すために、先進国だけではなく他のほとんどの国が行っている、東京都が率先して採用した発生主義複式簿記を採用しようとはしない。日本の周辺で大福帳なみの単式簿記を行っているのは北朝鮮とフィリッピン、パプアニューギニアくらいのものだ。だからこの国には正確なバランスシートもないし国民が国の財政を見極めるための財務諸表もありはしない。ちなみに複式簿記は東京に次いで今では大阪も愛知も採択して行っている。
続く
簿記会計
2012-05-15

高校で複式簿記なるものを習得した。国家検定で算盤と共に2級まではなんとかとれた。卒業後、銀行にちょうど20年勤めてサラリーマンをおさらば、家具類の商いを2年、それからはエクステリアの会社を立ち上げて20年、働きに働き続けた。
その時に役立ったのは簿記会計であった。銀行、商業、工業、の各簿記を体験して、現場を離れてからも知人から頼まれて数件、経理を任され監査役も引き受けたものだ。所得税や法人税の申告も自分で行った。
税理士の資格も目指そうと思ったが人様の働いた結果を見ることは阿呆らしくてやめにした。
それなら自分で何かを生み出す仕事をしてみたかったのである。言葉は悪いが「人の尻ふき」の一生はつまらない、と考えたのである。
複式簿記とは、単式簿記がある取引の結果としてどれだけの現金をそしての増減がもたらされたのかの結果だけに着目していたのに対して、現金の増減という取引の結果に加え、どのような取引に起因して現金が増減したのかという原因にも着目して帳簿に記録していく方法である。
これにより財産の計算と損益の計算を同時に行っていく。大企業といえども基本は同じ、それを細分化しているだけだ。古人が考えた知恵だ。
今は「会計ソフト」も発売されているから簿記会計の仕組みや基本を知る必要もなくなった。「貸方」「借方」や「仕訳」という言葉は博物館行きとなった。
その果てとしての集成が「貸借対照表」と「損益計算書」と言って、働いた結果が社外に報告されるのである。上場会社が新聞紙上を賑やしている、「決算報告」なのである。
そこでこのシステムについておやじなりに一考を記してみる。
続く
フエイスブック
2012-05-14

「来るもうれし、帰るもうれし」とはよく言ったものだ。ゴールデンウイークも済んで孫たちも帰って、ホット一息ついている。
今年は可哀想にせっかくの楽しみにしていた休みが、後半には雨やあられ、雷に打たれて散々であった。
おやじにとってはいくつか良いこともあった。家の中にいてネットのSNS(ソーシャル・ネット・サービス)なるものを里帰りしている娘に教えて貰って早速「フエイス・ブック」を導入した。
以来 懐かしい海外の知人と「友達になりませんか?」との交流をはじめることにした。もう少し勉強すれば深みに嵌りそうな予感がする。
アメリカの知人は殆どがこれを利用しているのには驚いた。日本では若者中心に加入者が増えているようだが、まだまだアメリカにはついていけない。知り合いの動向などが手に取るように掴みことができる。視野が広がって考えが地球規模となりそうだ。
久しぶりにアメリカの知り合いが、またその知人が写真と共に見ることが出来、アメリカを旅してあちこちでバカンスを楽しんだことが思い出された。なんと世界は狭くなったものか、ITの進歩はサプライズの連続だ。
世界はひとつ、数十年前、始めてパソコンを手にした時の感覚が蘇った。
世界人類が幸せでありますように
楽焼について
2012-05-13

昨日に続いて「楽焼」について記してみる。
楽焼は、一般的に電動ロクロや足で蹴って回す蹴轆轤(けろくろ)を使用せずに手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形した後、750℃〜1,100℃(普通の焼きものは1200℃前後)で焼成した軟質施釉陶器である。
また、楽茶碗などとも呼ばれる。狭義には樂家の歴代当主が作製した作品や樂家の手法を得た金沢の大樋焼(ここも数回訪れたことがある飴状の景色がたまらない)や京都の玉水焼など(おやじは知らない)が含まれる。
広義には同様の手法を用いて作製した陶磁器全体を指す。
千利休らの嗜好を反映した、歪んで厚みのある形状が特徴である。 茶碗や花入、水指、香炉など茶道具として使用される。
樂 吉左衞門(らく きちざえもん)は、千家十職の一つ、楽焼の茶碗を作る茶碗師の樂家が代々襲名している名称である。現在、15代が当主である。
3代・道入以降の各当主には隠居した時に「入」の字を含む入道号という名前が贈られており、後世にはその名前で呼ばれる事が多い。なお、道入・得入・惺入・覚入は没後に贈られている。
佐川美術館へ
2012-05-12
佐川美術館


樂家

滋賀県守山の琵琶湖沿いにある「佐川美術館」に行った。ここは数年前に一度覗いてから久しぶりだが、特に今回は「楽茶碗」の展示に興味があって立ち寄ってみた。樂吉左衛門家はおやじが京都にいた時に近くでもあって自転車で行ったことがある。
当時は今ほど「やきもの」には興味はなかったが、いかにも京の旧家という感じのところで、なかに入れてもらうと閑散としていて初代からの楽茶碗を拝見して、実際に「ふいご」も体験させてもらったことを思い出す。
その後1998年に琵琶湖の守山に壮大な「佐川美術館」が建設され、さらにその中に「守破離」をコンセプトに「楽吉左衛門館」がオープン、「そして今回は15代目楽吉左衛門襲名披露として自薦茶碗の展覧会を開いている。
おやじは楽家の諸施設がここにできてからは、初めてのことで地下室にできた薄暗い展示室を丹念に回って鑑賞した。地上にはられた水の上の「お茶室」も興味ある造りであったが予約が必要とのことで外から眺めるに留めた。
平日でもあって観客はちらほらであったが、それでも途切れること無く帰り際には駐車場はほぼ満杯になっていた。
先代14人の作風とは変わっていて、17歳から始めた赤楽茶碗から現代の作に至るまでの苦労が偲ばれた。若くして家を出た彼の生き方には、作品の善し悪しよりも名家に生まれた彼の苦労や葛藤が分かる気がした。
おやじのように道楽で「ものづくり」をしているのと違ってプロの思いがよく理解できる。なんでもお金を貰って世に出ることは大変なことなのである。


樂家

滋賀県守山の琵琶湖沿いにある「佐川美術館」に行った。ここは数年前に一度覗いてから久しぶりだが、特に今回は「楽茶碗」の展示に興味があって立ち寄ってみた。樂吉左衛門家はおやじが京都にいた時に近くでもあって自転車で行ったことがある。
当時は今ほど「やきもの」には興味はなかったが、いかにも京の旧家という感じのところで、なかに入れてもらうと閑散としていて初代からの楽茶碗を拝見して、実際に「ふいご」も体験させてもらったことを思い出す。
その後1998年に琵琶湖の守山に壮大な「佐川美術館」が建設され、さらにその中に「守破離」をコンセプトに「楽吉左衛門館」がオープン、「そして今回は15代目楽吉左衛門襲名披露として自薦茶碗の展覧会を開いている。
おやじは楽家の諸施設がここにできてからは、初めてのことで地下室にできた薄暗い展示室を丹念に回って鑑賞した。地上にはられた水の上の「お茶室」も興味ある造りであったが予約が必要とのことで外から眺めるに留めた。
平日でもあって観客はちらほらであったが、それでも途切れること無く帰り際には駐車場はほぼ満杯になっていた。
先代14人の作風とは変わっていて、17歳から始めた赤楽茶碗から現代の作に至るまでの苦労が偲ばれた。若くして家を出た彼の生き方には、作品の善し悪しよりも名家に生まれた彼の苦労や葛藤が分かる気がした。
おやじのように道楽で「ものづくり」をしているのと違ってプロの思いがよく理解できる。なんでもお金を貰って世に出ることは大変なことなのである。
ツリーハウス
2012-05-11

今月の月刊誌「BE-PAL]が面白い。遊びの好きなおやじにはどのページも興味は尽きない。その中でも目を引いたのが「ツリーハウス」であった。このての建築物は駒ヶ根の近くで見かけたことがあって以来、興味を抱いていたものだ。
天竜川を渡ったところにある「かっぱふれあいセンター」の奥には「駒ヶ根シルクミュージアム」があって、その近くにツリーハウスがあったのを思い出す。
何もないところの林に造られていたのを憧れの気分で長く見つめて、おやじもこんなのが欲しいなあ、「ここで寝そべって読書を楽しめば極楽気分を味合うことができるなあ」と思ったものだ。しかし今となっては高所が苦手だから無理かも知れぬ。それにしても世の中にはおやじと似た「物好き」がいるものだ。
そこで約100棟のツリーハウスを造ってきた人の談
「皆さん自由に造らせてくれました。いってみればアートのパトロンですね、クライアントの9割は女性です。残念ですが男性が少ない。男がロマンをもてない時代になってしまったかも」と。
おやじも今の若い男の意気地なしは、と常々思っているところである。いつかこの思いを書いて見たいと思う。
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。『梁塵秘抄』より
古人にもプレイボーイがいたものだ。おやじのような極道は、同じ一生だ、遊び呆けることもこの世に生まれてきた者の特権なのだ。
とても「スカイツリー」に人間を見に行く気はしないがこ、れは自然に溶け込んでいるから気を惹くのである。
昔金融に携わったのと、小さな会社を立ち上げた経験から小屋を訪ねて来た人から、いろいろ生き方について指導を仰ぎたい、と頼まれたものだったが「仕事の話はお断り、遊び特に旅の事ならなんでも相談に乗るよ、」と答えたものだ。徹底した「遊び人」で通してきたものであったし、これがおやじのキャラクターなのである。
スカイツリーは天国への近道ですぞー。グラグラときたらハイさようなら。その点ツリーハウスは強いぜ。