プロフィール

だべりおやじ

Author:だべりおやじ
「だべり小屋」主宰
次の方 小屋入室大歓迎
1、あつかましい人
2、気を遣わない人
3、義理欠く人
4、マイセルフの人
心身ともに、ころもを脱いでお入りください。

 「だべり小屋讃歌」    
    益田兼大朗 作詞作曲  
1、夕日が落ちて 吹く風が
  やさしくつつむ 夕暮れに
  おいで集まれ みんな来い
  明日の夢を話そうよ
  若狭瓜生の だべり小屋
  呑んで歌って また呑んで
  これからは これからは
   あなたも 私も
  仲間同士になりました

2、ひとりで絶えて 泣かないで
  悲しみここに 捨てに来い
  星を見上げて 呑むも良し 
  あの日の古い 唄も良し
  ヒゲのおやじの だべり小屋
  一期一会の ログハウス
  これからは こらからは
   あなたも 私も 
  仲間同士に なりました 

3, 略


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国会論戦を視る

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いよいよ、国会論戦が始まった。この間テレビで代表質問を見てみた。待ちに待った政権交代が実現し、与野党逆転、与党の元気に比して自民党の元気のなさ、見ていても気の毒な感じがした。何でも勝敗とはこれだけ薄情なものか、かっておやじが懇意にしていた高校の先輩のある野党議員のことが思い出された。彼が帰郷の際には、よく一献傾けたが、彼はいつも語っていたが「われわれ平議員は採決の一票を投じるだけに存在して居り、政策の決定は一部のボスと官僚が決めている。だからどんなボンクラでも議員は勤まるのだ」と。その当時は軽く聞き流していたが、ここにきて与野党が逆転、国民の前にそのざまが明らかになってきた。

勢いがついている民主党に野党たる自民党の質問はお粗末そのもの、とんでもない外国の例を引っ張り出して民主の悪口、これを招いたのは自分達だということが分かっていない。まさにブーメランそのものだ。

その自民党の支援団体は殆どがなだれを打つように寝返って、まるで明治維新の再現、残っているのは経団連くらい、あまりに自民からみんな離れていくものだから、民主一党独裁の懸念も報じられている。国民を騙しぬいてきた大きなバチだ。

どうも自公の仲も怪しくなってきたようだ。先日の公明の井上議員の代表質問には自民の議員が50人ほど議場かtら退席したという。かっての蜜月はどうしたのか。とんでもないやつらだ。それを報じたのは一部の新聞のみ、メディアはその議員の氏名を公表して欲しい。唯一の仕事、国会に出ずに何をしているのか、そんな自民だからますます国民から離れていくのだ。

年賀状について

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予約しておいた来年の年賀状が届いた。この年令になると年々数が減っていく。これから賀状作成ソフトで名簿を作成するのだが今年は何人亡くなったのだろう。名簿から抹消していくことは辛い。増えていくのはごく僅かだから賀状の注文もそれに連れて年々減っていく訳だ。

一番辛いのは昔勤務していた関係で賀状をやり取りしていたお客様や同僚への賀状先の子息や奥方から、「本人は○月○日亡くなりました。生前のご懇情を感謝します」との返信には懇意にしていた当時が思い出され、感涙に咽ぶのは辛い。

「生者必滅」は当然のことだが、分かってはいても四苦(生老病死)は何時来るかは予期できない。
どうか一日でも無事で健康に暮らせる生涯を送りたいものだ。

京都伝統工芸大学 作品展を見る

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京都府園部にある伝統工芸大学の学生作品展を見た。もちろん初めてである。学校は園部駅を少し登った高台の絶好のロケーションに建てられている。陶芸をはじめとして10部門にわたる専攻課程があり、先ず陶芸作品について見る。

各セクションには学生がそれぞれ説明役にいてくれる。おやじ早速聞いた。 「ここは学生は何人くらい?」「約300人でうち陶芸には約100人が学んでいます」「あんたは何年生?」「今年入ったところです」「家はやきものやさん?」「違います。家は出石で近くに陶芸をやっているところがあり、幼い時からどうしてもやりたかったんです。」「出石焼ねえ、あそこは磁器やねえ、楽しい?」「ものすごく楽しいです。磁器は難しいのでまだやってません、将来は地元に帰って窯を築きたいと思っています。漠然と学校に通っている仲間が多いですが私はああいうのはきらいです。目的に向かって頑張るつもりです。」「手は器用?」「普通です。器用な子ははじめはうまいですが、少しずつ上達はしますが止まります。素直な性格で意思の強い子は不器用でもはじめはなかなか腕があがりませんが、あるきっかけを掴むと急に限りなく腕があがるものです」。これを聞いておやじなんと立派な若者がいるものだなあと感心した。

いまはロクロで自分の恵まれた体力と腕の力で一度に18キロの土まで引くことが出来るようになったそうだ。少しづつ量を増していくという。その他種々おやじの問いに快く答えてくれた。その他の学生達も素直で礼儀正しく好感を持てた。一芸を目指していると人間はこうも素直になれるのか。

さらに仏像彫刻の部門、もうこれはプロの世界だ。凄い。圧倒された。彫刻の顔の表情、細かい細工、おやじも欲しくなった。こんな子をもつ親は将来楽しみだろうなあと思った。蒔絵、金属工芸、漆、和紙、木工、を経て最後に石工芸を覗いた。

おやじは昔から、石に関しては少々関心があり、あちこち産地に出かけて勉強もしたものだった。そこで聞いた。「今ここは生徒は何人?」「去年入った4人だけです。今年はだれも入ってきません」「あんたは石屋のむすこさん?」「ちがいます。石屋の子供はひとりだけです」 

もうそれ以上は聞かなかった。と言うよりも石屋の現状を知っているおやじには聞けなかったのだ。傍にはひとりが石を黙々と叩いて面を取っている。人々の暮らしの変化と石加工の機械化、中国、韓国からの安価な製品の輸入により、日本の石屋は壊滅的で半減した。にも係わらず、従来からの技法でこつこつと腕を磨こうと日々研鑽に励んでいる若者に危惧を感じた。しんどいし危険、そして肺を冒す職業病、大変な仕事である。まさに修養以外のの何物でもない。付近には作られた灯篭や手水鉢が数多く放置されていた。このうちどれだけの生徒が目指す職業について、成功することが出来るのか、せめて純粋な若者の夢を壊さないようにだけはして欲しいと願った。

終日大きな校舎を回ったので足がだるくなった。昼に学生と一緒に食べた学生食堂での360円の「きつねうどん」はうまかった。ここはおやじの年令でも生徒として受け入れてくれるが、今更入学する意欲は持たない。しかし、おやじの近くに住む小学校の教師あがりのやきものの先生は、定年後にここで2年間じっくりと陶芸を学び、今もロクロに懸命だ。最もおやじよりも一周り若いが。・・・・

帰りには今晩のビールのアテにしようと学生がやっているバザーで「丹波の黒豆」を購入した。

薪ストーブに点火

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急に寒くなった。早速小屋の薪ストーブに火を入れた。本当は旧暦の10月最初の亥の日、に点火するのが昔からのしきたりだそうだが、その通りすれば今年は新暦の11月26日となる。とてもそれまでは待てない。本宅にも石油ストーブを出してきた。我が家では今日が、炉開きの日、炬燵開きの日となってしまった。

昔は亥の日の亥(イノシシ)は、火(火難)を免れるという信仰があった。そこから亥の月の亥の日に火(暖房器具)を使い始めれば、その冬は火事にならないと信じられていたからである。なお陰陽五行説では、亥は「水性の陰」としてとらえられるため、火に勝つとされている。亥の子の日に炬燵を出すと火事にならない、と言われているからだ。

 昔の人は、「好きなときに好きなことをする」のではなくて、「決まったときに、決まったことを当たり前にする」ことが粋な行いであったようだ。 だから、「今年は寒いから早めに炬燵を出そう」などという、どこぞのかわうそのようなことは言わず、亥の子の日まではじっと我慢。そして待ちに待った、炬燵開きの日を迎えるというわけだ。

気儘なおやじには修行が出来てないからそれは出来ない。
11月3日朝 記

九州のやきもの その5

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続き
九州には窯元が無数にある。豊臣秀吉が朝鮮出兵から連れて来られた陶工らの技術で各地に築窯されたからだ。

やきもの行脚の旅、次は熊本県の大牟田市の近く「小代焼」に行った。地図とナビを駆使して窯元を探した。あちこちに散らばっている窯場を探して走ったが見つからない。ようやく窯元の表札を見つけた。


声をかけるも誰も出て来ない。しばし待っていたら主が現れた。中に入ると数点の展示があった。どれも気に入るものはない。適当に会話をして退散、どうもあまり力を入れていないようだ。出鼻をくじかれて苦労してここまで来たのが悔やまれた。もう ヤーメタ とばかり開き直り、ショッピングセンターへ、食事をしてぶらつくとここにも陶器コーナーがあるではないか。小代焼も御用窯、昔からさまざまの茶道具を焼いていたようだが最近はどうも下火のようだ。もう窯元めぐりは止めにして帰路を急ぐことにした。九州の殆どの小さな窯場は衰退の一路を辿っているようだ。ここ「小代焼窯元」には二度と来ることもないだろう。

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