ひげなしおやじのひとりごと

田舎暮らし、旅と粘土遊び

阿字観

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先だって高野山の宿坊で「阿字観(月輪観)」なるものを体験してきた。曹洞宗や臨済宗の「坐禅」とよく似た,
真言密教で自分と大日如来(宇宙)が一体となる基本的な瞑想法である、
      
「阿」の字のご本尊の前に座ったら呼吸は浅くなく、深くなく、何より大切なのは意識して宇宙に満ちた力を吸い込み体内の汚れを押し出すがごとくにそして息が苦しくならないよう大事に呼吸する。
おやじは昔、ピーカン(雲ひとつない晴天)の朝一番にゲレンデ頂上に立った自分をイメージしてこの行に入った。

呼吸が落ちついたらそれを維持しながら瞑想に入る。

「第一の段階は月輪を心に留め置き目を閉じていても見えるかのごとくになるまで意識を集中する。一段階がうまくいったら

第2段階の広観へ移る。広観は目を閉じても見えるように強く意識を集中させた月輪を自分の心の中に引き寄せる。さらに精神中に引き寄せた月輪を立体の白い淡い光を放つ球に変化させこの球をどんどん大きくしてゆく。まず、自分の体の大きさにそして家の大きさ、町の大きさ、国の大きさ、地球の大きさ、最後に宇宙全体を覆うぐらいの大きさの球になるように月輪を広げていくのだ。これが二段階の広観である。

広観を何度も修することによって意識を限界まで広げる事が可能になる。広観に成功したならば次に第三段階の斂観を行う。斂観とは広観を行い極限まで拡大した月輪を少しの間維持する。月輪を安定した状態で維持させることができたら次にこの月輪を徐々に小さくして最初の大きさに戻していく。広観と斂観によって阿字観の基礎、月輪観が終了する。」

と理屈はこのようだ。

約一時間はあっと言う間に済んでしまった。禅宗で何度か坐禅を体験してきたが気持ちはややリラックスさせているので楽であった。どちらがいいか好き嫌いや好みで比較するのはどうかと思うが、おやじは禅宗の無私無念の「只管打座」のほうが向いている。

そのあとしばし心の落ち着きが身体に傭った感じがしたことだけは確かであった。時にはこのような瞑想に入ることも良い体験であった。
  
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Author:だべりおやじ
「だべり小屋」主宰
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2、気を遣わない人
3、義理欠く人
4、マイセルフの人
心身ともに、ころもを脱いでお入りください。

 「だべり小屋讃歌」    
    益田兼大朗 作詞作曲  
1、夕日が落ちて 吹く風が
  やさしくつつむ 夕暮れに
  おいで集まれ みんな来い
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  若狭瓜生の だべり小屋
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  これからは これからは
   あなたも 私も
  仲間同士になりました

2、3, 略

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