ひげなしおやじのひとりごと

田舎暮らし、旅と粘土遊び

台湾の教育

tyokugo.jpg   kyouiku3.jpg

続き
特に戦前の日本の教育水準は非常に高く、教師がみんな教育に情熱を燃やしていた上に、なにより愛情を持って子供たちに接していた。そんな当時の師弟関係は今も延々と続いている。

日本人教師と台湾人の生徒の間には強い師弟関係があって、戦後も教え子たちが日本の恩師を訪ねたり、また教え子が教師を台湾に招いて感謝の会を開いたりすることはあちこちで聞かれたものであった。

知らなかったが、大東亜戦争時には戦線の拡大と共に陸軍特別志願兵制度が施行され(昭和17年以降)台湾人にもようやく軍人の、門戸が開かれることとなった。この志願兵制度が発表されるや、約千名の募集人員に対し、たちまち四十万人もの志願兵が殺到したのだ。競争率なんと400倍、翌年にはさらに上回る600倍を記録していたのであった。

台湾は日本の戦略基地として重要な位置づけにあり、台湾なくして日本の南方作戦はままならなかったのである。

参考までに朝鮮では同時期の募集約4千人に対し、志願者25万人で倍率62倍であったことを添えおく。

台湾では今も卒業式には「仰げば尊し」を歌い継がれている。日本統治時代の「教育」こそ、欧米諸国による植民地統治との大きな違いである。

著者の一文から抜粋して彼等がどんな思想の持ち主かを見てみよう。
「私の母校、清水公学校では、内地(日本)の学校と同じように式典時には教育勅語を唱えたものだ。私はこの勅語は戦後の日本で非難されるような、軍国主義的なものではなかったと考えている。

「一旦緩急あれば義勇公にに奉じ」これは国民としての当然の義務であり、「夫婦相和し、朋友相信じ」などは現代でも古今東西に通じる」”人の道”であると信じている。・・・・・」このことはおやじがいつも思い続けている信念と同じなのである。

南部の街「高雄」にある「東方工商専科学校」では今もこの「教育勅語」を掲げて、英語、中国語、イタリア語などに翻訳して各国の来賓に贈呈しているという。

反面、日本では「教育勅語」も「修身」も戦後の偏向教育でも軍国主義だと、いわれのないレッテルを貼られて廃止されてしまった。元日本人として残念でならない。」
と書いているのだ。

「われわれは日本人を手本として崇拝しているのに、肝心の日本精神はどこに行ってしまったのか、」とはおやじが台湾の人たちに何度となく聞かされた言葉であった。
日本人として恥ずかしい限りである。
スポンサーサイト



 | HOME |  古い日記に行く »

文字サイズの変更

プロフィール

だべりおやじ

Author:だべりおやじ
「だべり小屋」主宰
次の方 小屋入室大歓迎
1、あつかましい人
2、気を遣わない人
3、義理欠く人
4、マイセルフの人
心身ともに、ころもを脱いでお入りください。

 「だべり小屋讃歌」    
    益田兼大朗 作詞作曲  
1、夕日が落ちて 吹く風が
  やさしくつつむ 夕暮れに
  おいで集まれ みんな来い
  明日の夢を話そうよ
  若狭瓜生の だべり小屋
  呑んで歌って また呑んで
  これからは これからは
   あなたも 私も
  仲間同士になりました

2、3, 略

最新記事

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

Template by たけやん