ひげなしおやじのひとりごと

田舎暮らし、旅と粘土遊び

祖父一代記 伯父の放蕩

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船場のボンボン(伯父)のことについて書いてみる。我が母親方の伯父のことだ。

母の腹違いの兄である伯父は幼くして船場の「治武商店」の跡取りとして生まれ、店の奉公人や周囲からは手厚く可愛がられて育った。

創業者たる祖父は日野商人として苦労に苦労を重ねて一代で東北、北海道にまで商圏を広めた生粋の浪速商人であった。だから苦労を重ねて辿ってきた道を息子にだけは、させたくないと、甘やかされて育てられた。

それはわが母の行いを見ていても「こいさん、こいさん」と周囲から大事に大事に可愛がられていたのと同じであった。

祖父は船場で綿布問屋として成功、「箕面」に別荘を建築したが(戦後松下電器に売却)本来祖父が住むべき所を女中2人つきで息子家族に管理させていた。それくらいひとときも船場の「あきない」から離れなかった祖父であったのである。

さてそのボンボン息子は箕面の女中つきの家でしたい放題、店員や女中は店の「だんさん」(母は おやっさん )と呼んでいた。}よりも気の良いボンボンに惹かれて徐々に彼の味方が増えてきた。

「だんさん」が時折「箕面」に来る時は店の者からこっそりと「今度の日曜はだんさんが行かはるさかいに注意しや」と電話が入る。すると別荘にいるボンボンはじめ連中は一斉に大掃除、だんさんのお出でを待ったそうだ。そして到着時にはボンボンはじめ全員がさぞ忙しいようにてんてこ舞いを装ったという。

「だんさん」は騙されているのも知らずに「ようやっとるな」とご満足、また、ボンボン一家(嫁は西川一族から嫁いできた超お嬢さん)は平日には「謡、お花、お茶」と師匠を家に呼んで子供ともども稽古に励んだ。散財放題の生活であった。、

こういう毎日がいつまでも続く訳がなく、だんさんが歳を重ねるに寄ってボンボンの道楽が日に日に度を増し、だんさんが稼ぎボンボンが浪費した。

そのうち店の業績が悪化をたどり、だんさんの死去で一気に全財産は人手に渡った。その後はこのボンボンたる伯父は日本生命の外務員や転々と働き口を変えていたが、苦労知らずで長続きはしなかった。

会う人会う人に「スンマヘン、ちょっとお願いがありまんねん」というのが口癖、よって「金借り治武さん」とはその時に世間からつけられたネームだったという。

その後は行方知れず、腹違いの妹であるわが母と、その姉(伯母)も資産を取られて喧嘩別れ、となってしまった。

苦労知らずのボンボンの一代記はまだまだ、たくさんあり母からよく聞かされたが、わが一族の恥でもあるのでこのくらいにしておく。

こうして母方の束の間の成功も祖父一代で泡の如くに見事に消え去ったのであった。

「唐紙に”売り家”と書く三代目」とはよく言われるが「治武商店」は二代目で終わったであった。

わが祖父は商売には長けていたが経営特に人事管理面では零点であったのである。数百年と続いてきている老舗の凄さには驚嘆のほかない。

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Author:だべりおやじ
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2、気を遣わない人
3、義理欠く人
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 「だべり小屋讃歌」    
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