
この文明の進んだ世の中に「天気予報」ほど当たらないものはない。予報じゃなくして結果についてはもっともらしく講釈しているが、予報は外れても謝りもなく、清々としている。あたるも八卦、あたらぬも八卦、天気予報も良く似ている。
先日の18号台風の進路について気象庁と民間の気象予報会社(ウェザーニュース)がもめている。これも役人と民間の争いだ。大体、勝負はついている。税金で、のうのうとやっている気象庁と会社の生死をかけて取り組んでいる人たちでは勝負にならない。民間会社は会員からサポーターと呼ばれる全国の有料会員の、インターネットによる情報を元に分析している。役人の机上の解析か、民間の現場第一との分析の違いだ。外は雨でも今日は晴天でしょうと机上でのとんでもない予報を流す。現場の予報の資料に全国の漁師の声を取り入れるのも面白い。広範にわたって組織化すれば命をかけている人たちの素晴らしい予報が出来上がるのではないか。しかも投資はほとんど不要だ。
気象庁はいくつもの予報は混乱を来たすから一元化をしなければ、という。予報会社の認許可権を持っている役所らしい発想だ。われわれはお互いに競わすことによって少しでも正確にと考える。
間違いの多い気象庁の予報はひとつにして、役所について来いとのこと。間違ったほうに正確な情報を合わせとの言うことだ。ついていったら余計に混乱を来たすではないか。民間会社は「独自分析に自信」があると言っている。どんどん合い争って民間が勝てば「気象庁」は廃止、莫大な無駄な投資と、役人は首にすることだ。それが怖いから言っているだけだ。
メディアも両者の天気予報コンペを企画して世にさらし、どちらが正確かを争わせたら面白い。おそらく役人側は、なんとかかんとか理屈をつけて負けるコンペに反対するだろけれども・・・・。
地震の震源も震度も何回も訂正することが当り前、黙っているほうが国民は惑わされない。
現在の天気の状況でさえあたらない予報が、今冬や来年の長期予報が当たるわけがない。おやじは旅に出るときは天気予報はまったく当てにしていない。にも拘らず「晴れおやじ」でとおっている。