プロフィール

だべりおやじ

Author:だべりおやじ
「だべり小屋」主宰
次の方 小屋入室大歓迎
1、あつかましい人
2、気を遣わない人
3、義理欠く人
4、マイセルフの人
心身ともに、ころもを脱いでお入りください。

 「だべり小屋讃歌」    
    益田兼大朗 作詞作曲  
1、夕日が落ちて 吹く風が
  やさしくつつむ 夕暮れに
  おいで集まれ みんな来い
  明日の夢を話そうよ
  若狭瓜生の だべり小屋
  呑んで歌って また呑んで
  これからは これからは
   あなたも 私も
  仲間同士になりました

2、ひとりで絶えて 泣かないで
  悲しみここに 捨てに来い
  星を見上げて 呑むも良し 
  あの日の古い 唄も良し
  ヒゲのおやじの だべり小屋
  一期一会の ログハウス
  これからは こらからは
   あなたも 私も 
  仲間同士に なりました 

3, 略


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ゆず 柿 山茶花

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ここ2,3日寒くなった。雨も上がったので本宅の周囲を回ってみた。するといろいろな花や実が様変わりしていた。先ず盆柿だ。今年は小さな柿が鈴なり、結構うまいのだが、種を出しながら食べるのが面倒だ。御所柿が一番美味しいが今年は不作、一年おきに豊作不作を繰り返す。渋柿は順調に育っているが加工が大変だ、皮をむいて棕櫚の葉の紐で括って竿に吊るしておくと、だんだん痩せていくと共に甘みが増してきて美味しくなる理屈だ。子供の時は雪の中での「つるし柿」の甘みを唇の周囲で味わってが美味しかった。その「つるし柿ももう食べられるようだ。今日は初物をいただくことにしようか。ところが最近は飽食の時代に育った孫達もたいして喜ばない。

「ゆず」も今年は多く収穫できそうだ。風呂に入れてリラックスする日が待ち遠しい。ちなみに今年の冬至は12月22日である。ゆず湯に入ると肌がスベスベになる美肌効果があったり、冷え性やリュウマチにも効くし、体が温まってカゼをひかないとも言われている。

 辞典によるとこれらの効能は、ゆずに含まれている芳香成分――精油の働きによるもの。ゆずの精油にはピネン、などの物質があって、これらは新陳代謝を活発にして血管を拡張させて血行を促進。ノミリンなどには鎮痛・殺菌作用があるので、体が温まり、カゼも治るのだそうだ。そのせいかここ数年予防注射をしてる家人は風邪に罹っても野蛮おやじは元気そのもの、「何とかは風邪引かず」とのたとえ道理かも知れぬ。その他ジャム、香料、などいろいろなことに使われる等用途が広い。。

山茶花も満開だ。紅と白が一対で咲いている。自然の営みにはいつもながら驚かされる。これらを見て歩くと心は休まる。田舎に住む者の特権に感謝!

楽器演奏

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小屋の2階で時折おやじ唯一の楽器独演会を楽しむ。と言っても芸無しゆえ、「ハーモニカ」を吹くだけである。小学校の学芸会で全校生徒を前に「埴生の宿」ともう一曲テンポの速い曲を演奏したが曲名は忘れてしまった。ベースをいれながら吹けるのはこの2曲のみであった。

最近、信州中野の周辺によく出かけることもあって、かの有名な「ふるさと」が気に入っている。高野辰之の作詞、「兎(うさぎ)追いし かの山 小鮒(こぶな)釣りし かの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき ふるさと」のメロディが流れると信州の生まれでもないのに異様におセンチとなる。涙もろくなってきたのは年のせいか。hurusato.jpg  rosuami-go.jpg 

ひとりで「ふるさと」を演奏しては悦に入っている。小屋は防音が完璧だから下手な演奏も外の誰にも聞えることもない。しわがれ声で昔カラオケで歌ったものをお義理の拍手もなくひとり楽しむのもおつなものだ。

いつも小屋でピアノ演奏していただく越前市の「アネーゴ」さんからメールをいただいた。先日、「コシヒカリ」をお届けしたおすそ分けを食べたとのお礼であった。先日の「ロスアミゴス」の演奏会に顔がみえなかったが「婚礼シーズンで契約している会場へのピアノの演奏で多忙のようだ。

薪ストーブとログに魅せられて近々お邪魔したいとのこと、大歓迎、彼女の「アイ・ミス・ユー」には定評があり、聞いていてうっとりする。彼女のピアノは言うに及ばず、他に指笛の名手だ。しかも大酒豪、と来ている。これで集まる連中は決まったようなものだ。近くにお住まいならば毎週にでも演奏を聞きたいものだが、残念。彼女がいればカラオケの装置は一切不要である。

「もしもピアノが弾けたなら」 おやじのぼやきである。

信仰の穴場

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JR京都駅から高槻にむかって二つ目に今年新しく開業した「桂川駅」があり、この近く物集街道(もずめかいどう)に沿ったところに娘夫婦が営む設計事務所がある。

そこで長岡京市の西山浄土宗総本山「金明寺」に紅葉を見に行くために「桂川」から娘に白タクを頼んだ。今日はそのくらいなら時間はとれるとのことで、急遽紅葉見物としゃれこんだ。駅前でちっちゃな車で迎えてくれた。「金明寺」は毎年のように来ている。向かって左側の参道のもみじがお気に入りだ。はじめて訪れた時は、ほとんど人もなく自由に散策できてその素晴らしさに感動したことが思いだされる。

しかし最近は紅葉を見に来る人たちがうなぎ昇りに増えて参道は一方通行、拝観料を支払う事務所までが新設されて人の波に流されてもみじどころではない。参拝というよりもまつりの見物のように、屋台や地元の産物などの店が軒を並べて商い気分が濃厚だ。

おそらくここの住職も代が代わって、経済優先の若者が仕切っているのだろう。心の最後の糧と寄り付くお寺が徐々にこうなっていくのは心さみしい。そのおかげかこの寺も羽振りが良く建物を増築のさなかであった。なかなか手に入らないヒノキやケヤキの太い材ががところ狭しと積み上げられて出番を待っていた。もうこんなところに来るのも少ないだろうとふと寂しくなってしまった。

ちなみにこの寺のホームページには「平成14年度は脱サラの30歳から高校を卒業してストレートに入ってきた18歳の若者10人が同じ釜のご飯を食べ、笑い、泣き、腹を立て、仲直りしたりしながら一団となって光明寺を24時間支えています。」とある。それでガッテンできた。お寺の名前どおり、お金に執着しだしたのだ。来週には阿弥陀堂でジャズライブが催されるらしい。阿弥陀さんや法然さんが驚かれることだろう。本来、静かであるべき寺院がドンチャカドンチャカはふさわない。おやじはジャズの本場「シカゴ」のカフェやホールで聴いた「ディキシーランドジャズ」や、わが小屋のCDで流す「モダンジャズ」は大好きだが・・・・。

ここは心から物に主体は変わりつつあるようだ。ハードからソフトへ変わりつつある政治の世界に反し、時代を逆行している。

阪急やJRの駅から遠くて便利が悪く、バスも本数が少なくて穴場であったが最近は直接、全国から観光バスで来る人たちで小さな駐車場も満車、自家用車は置き場もない。効率の良い団体さん大歓迎といったところか、ひとときの温泉旅館並みだ。

拝観料をとらない寺院が大好き人間のおやじだが、だんだんとそういうところが減っていく。
先日、京都市内のタクシーの運転手に「京の穴場は?」と聞いたら「真如堂とその隣の金戒光明寺ですね。」と教えてくれたが、正直びっくりしたものだった。ここはまさしくおやじの「隠し場」なんだ。残念! 運転手が宣伝すればもう終わり。とがっくり、またどこかに足を伸ばせて違う穴場を探さなきゃと思うこの頃だ。金戒光明寺の正面本堂階段でボサーッと座り込んで遠くに聞える三部経を聞く時間がなくなるのは残念だ。同じ浄土宗の本山でもこれだけ違うとは。・・・・・・。

ハーベスト

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10月15日から25日にかけて、伊勢神宮では神嘗祭(かんなめさい)が行われた。これは、その年に採れた”新米を最初に神様に捧げて感謝する行事”だ。外宮では10月15日宵・16日暁、内宮では10月16日宵・17日暁に、新穀を由貴大御饌(ゆきのおおみけ)としてお供えされるが、関連行事は25日まで続く。またこれに合わせて、宮中では神宮御遙拝の儀などが執り行われる。

神宮の行事の中でも最も重要な行事で「神宮の正月」とも言われ、神宮ではこれにあわせて色々な道具が新調され、戦前は祝日になっていた。なお、このあと11月23日には今度は宮中で天皇が新穀を神に捧げる新嘗祭(にいなめさい)が行われる。こちらは現在、勤労感謝の日になっている。
このふたつの行事は農業を中核産業とする日本にとって重要な儀式である。

一方、ハロウィーン(Halloween, Hallowe'en) は、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる伝統行事。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった。
ケルト人の”収穫感謝祭”がカトリックに取り入れられたものとされている。由来と歴史的経緯からアングロ・サクソン系諸国で主に行われる行事であって地域性が強く、教会と不可分の行事ではないため、キリスト教の広まる地域であれば必ず祝われるという訳ではないそうだ。

以上いずれもお国や宗教は違っていても収穫に対する感謝の日であることは共通している。現在は田舎でも収穫に携わっている人は少なく関心も薄い。しかし子供の時に腹ペコを体験してきた者にとってはお茶碗の中の白メシは言うにいえない貴重なものだ。

海、山、里等あらゆる自然の恵みをいただく素晴らしい季節、収穫の時期に心は弾む。ありがたや今年も無事に過ごさせていただいた。あらゆる神仏に感謝しなければ。・・・・

収穫の秋に感謝

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先日、当家の田んぼを作ってもらっている方から、お礼にと「コシヒカリ」をもらった。毎年のことながら孫やお世話になっている方々におすそ分け、今年の収穫を感謝した。
kaidasi.jpg 都会からの米の買い出しの汽車


そこでおやじ、戦時中や戦後の食料不足を思い出した。特に都会から田舎に疎開した者にとっての米のありがたさは何物にも変えがたいものだった。鍋を覗くと顔が映って見えるほどの「オジヤ」というより「ゾウスイ」を流し込んで飢えを凌いでいた者にとっては、田舎の真っ白なご飯はまさに宝石に値したものであった。

田舎で「シロメシ」をはじめて食べたときには、腹痛を起こしたことであった。疎開した伯父の家は2人暮らしで食物は豊富にあり、供出はしたが都会から買出しにくる人たちに闇で売ってもまだ十分に在庫はあった。国民学校に通う幼きおやじはお昼の弁当は「真っ白なごはん」、友達の弁当はみんなほとんどが「麦飯」、みんなに見えないように弁当箱のふたで隠しながら食べたものだった。おかげで田舎に着てからは空腹はなく、元気で育ててもらった。おやじのように親戚が田舎にある子供はこうして育てられたが、そうでない友達は集団疎開で東北や信州あたりのお寺などに疎開してからもひもじい体験をしたものだった。

精米された白米を見るに行け、今でも食料のありがたさが懐かしく思い出されるおやじである。それに比して今は飽食の時代、コンビニやレストランなどは毎日、余ったものをどんどんと捨てるそうだ。時代は変ったといえばそのとおりだが、わが地球には今でも飢えに苦しむ人たちがたくさんいる。今日あることを天地に感謝して過ごそうと痛切に思う恵みの秋である。

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